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近代
光は”波”か?”粒”か?

古代から論じられた光の正体について、17世紀に入ると光が物体(粒子)なのか揺らぎ(波動)なのか多くの科学者が研究を始め盛んに議論が行われるようになります。

イタリアの物理学・天文学者であるフランチェスコ・グリマルディ(伊:Francesco Maria Grimaldi:1618-1663)は小さな穴から暗室に取り込んだ光を利用した実験である現象を発見します。1つは穴から一直線に伸びる光を不透明な物体で遮った時、本来影であるはずの部分にまで光が回り込むこと。もう1つは取り込んだ光が当たった壁に同心円状の像(光)が映ることです。

今日、回折・干渉と呼ばれるこの現象はグリマルディによって初めて報告され、彼の没後1665年に出版された「光・色・虹に関する物理・数学的論考(Physicomathesis de lumine, coloribus, et iride, aliisque annexis)」に収められています。同書には光が波の特徴と類似している点などもまとめられ、光を波動とする研究者にとって一助となりました。


同じ頃、オランダの物理学者であるクリスティアーン・ホイヘンス(蘭:Christiaan Huygens:1629-1695)は、光を対立するように置いても光同士で打ち消し合わないことや光が重なり合うとより明るくなることは波に起こる現象と同じであり、光を粒子と考えては説明できないとして光の波動説を提唱しました。

ただ、波動であるならば光源(発光体)からの波を伝える媒質が必要となるため、ホイヘンスは「空気中には弾性を持つ微粒子が満ちており、この粒が光から衝撃を受けると粒に接触した粒子だけでなく、接触した粒子にさらに接触している粒子にまでその振動は伝わり、加えて振動を受けた各々の粒子が”自身を中心とする波(素元波)”を新たに形成することで光が伝わっていく」と仮説を立てます。(図参照)

ホイヘンスの原理の説明と図解
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1678年に発表したとされるこの「ホイヘンスの原理」では、光は素元波の集まりである波面の伝播によって進むことが理論的に説明され、光の波動説の重要な根拠のひとつとなりました。
1690年に出版した著書「光についての論考(Traite de la lumière)」には、ホイヘンスの原理の他にも光の反射や屈折について解説されています。


一方イギリスではより精度の高い望遠鏡を作ろうと自然哲学・数学・物理学・天文学・神学者であるアイザック・ニュートン(英:Isaac Newton:1643-1727)がレンズや鏡の研究に没頭していました。
光をプリズムに通して色鮮やかな光の現象を観察していたニュートンは、ふと伸びた像が長方形であることに気付き大変驚いたといいます。

当時、太陽光をプリズムに通すと虹様の色が見られることは既に知られていましたが、それは「白色の光をプリズムに通すと色が変化する」からであり、「光線自体は白一色の単一物である」と考えられていました。1つのものならば屈折率も1つ、つまり映る像は入射時と同じく円形であるはずです。

ニュートンは様々な条件のもとで実験を行い、プリズムで取り出した単色光を再度プリズムに照射しても色が変化しないことや、分散した光はプリズムを通して白色に戻ることを検証します。

そして光がそれぞれの屈折率を持つ複数の光線の集まりであることを記した手紙を王立協会へ送り、賛否を巻き起こす大きな衝撃を生みました。*

ニュートンの決定実験の説明と図解
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研究を重ねるうちに、粒子としてしか説明できない光の持つ直進性や反射、屈折の様な運動を明らかにしたニュートンは、1686年刊行の「プリンキピア*」、1704年刊行の「光学*」にて光に関する解説や想定を記しました。

プリンキピア(Philosophiæ Naturalis Principia Mathematica):奇跡の年といわれた1665年からの1年半の間に発見した「万有引力」や「ニュートンの運動の三法則」などが纏められた力学体系の解説書。光の直進性は第一法則「慣性の法則」に光の粒子が従った結果であり、第一巻 第14章では光を粒子と仮説した場合の屈折現象を数学的に説明している。光が万有引力によって落下しないのは質量のあまりの軽さのためとした

光学(Opticks or a treatise of the reflection refraction inflection and colours of light):プリズムによる分光実験から光が複数の光線の集まりであることを王立協会へ送った手紙「光と色についての新理論**」を第一篇とする、ニュートンによる光学研究の集大成書。ニュートンリングや回折現象も取り扱われており、最終章Queriesでは自身が解明できなかった様々な疑問も呈している。第一篇 第一部の定義 I に記された「光の射線とは光の最小粒子であってー」の一文によりニュートンは粒子説をとったとされることが多い
 **「光と色についての新理論(New Theory About Light and Colours)」:1672年2月王立協会で初めて読み上げられたニュートンの手紙。光を「事実上実体(substance)」と記し「光が物体であるかどうかについてもはや議論の余地はない」との記載もある

この論文で光の性質をすべて解明できたわけではありませんが、万有引力や微分積分のような偉大な発表をし、王立協会の会長にまでなったニュートンの権威は凄まじく、その後100年もの間、彼の後継者たちにより光の粒子説は支持されることになります。

中編②へ続く

<参考文献>
・溝口 直樹『ホイヘンスは如何に考えたか』
・多久和 理実『ニュートン・プログラムはどのように受容可能になったのか 実験家ディザギュリエの貢献』
・多久和 理実『「決定実験」と「実験による証明」アイザック・ニュートンが用いた二つの概念の比較』
・Sir Isaac Newton『Opticks』
・中島秀人 『ロバート・フックの科学研究 : 天文学・光学研究を中心として』